偉大なるカントリー主義の先人「H・D・ソロー」
その魅力を探る。

ソローはマサチューセッツ州ボストンのコンコードに住んでいたが、その自宅からわずかに2kmほど離れたウォルデン湖のほとりに小屋を建てて2年2ヶ月を一人で過ごした。『森の生活−ウォルデン』はその時の記録である。

彼は文明社会から隔絶して完全なる隠遁の暮らしを送ったわけではない。むしろ多くの友人達がウォルデンの彼のもとを訪ねて来た。ソローの小屋には、ベッドと食卓、机とランプ、そして小さな3つの椅子が置いてあった。「一つは思索のために、二つは交友のために、三つは社会のために」と彼は書いている。

彼が『森の生活』を書いた19世紀半ばのアメリカは、電信というそれまでになかった高速・長距離コミュニケーションの技術が開発・導入され、村落コミュニティ中心のゆったりとした生活のリズムがスピーディな都市型のライフスタイルへと徐々に加速を始めた頃と重なる。『森の生活』を読むと、彼の文明批評はインターネットの出現した現代社会にそのまま当てはまることがよくわかる。

とはいえ、カントリー・オンラインが注目したいのはソローの批評性よりもむしろ、生活に対するピュアな理想と、その理想を都市社会の現実を一方に踏まえつつとりあえず実現してみようとした現実的な行動力である。彼はそういう意味で、「田園的優雅を都市生活者の視点で楽しむ」という本サイトのコンセプトを1世紀ほど前に実行した先人であるとも言えまいか。

その理由は森にある。
Pictures(above and right)
By the courtesy of George Edward Loper
Copyright©1996-2001

 

ソローはなぜ森で暮らしてみようと思ったか?

「ぼくが森に行ったのは、慎重に生きたかったからだ。生活の本質的な事実だけに向きあって、生活が教えてくれることを学びとれないかどうかを突きとめたかったからだ。それにいよいよ死ぬときになって、自分が結局生きてはいなかったなどと思い知らされるのもご免だ。」
(「ちくま学芸文庫」訳)
今もウォルデンの森に残るソローが建てた小屋と彼の立像。

 

その実行力・現実的発想から現代人が学べるもの。

ソローは確かに当時の「高等遊民」だった。しかし彼は単なる窓辺の思索家に留まらず、常に行動し、それを記録した。そのイメージはジャーナリスト的である。
我ら現代人の大半は都市的な生活様式の中で生きているが、何かを思い立つ時、ソローが3ヶ月かけて小屋を建てたように自分の力でそれをまずやってみようとするだろうか?ソローの著作が今も読み継がれているのは彼が単なる思索の人でなく行動の人であったからだという事実を我々は常に覚えておきたいものである。

では、現代のソローは何処かにいるのか?

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