今回のはしもとひでとは、パパである。
しかもかなり頼もしい。
子どもの教育というプロジェクトを前にして、理論と実践と現実と調整について自ら試行錯誤し先手先手を打とうとしている。
アメリカで奮闘するのは、イチローや新庄や野茂ばかりではない、という記録。


<第3回>

教育再考

ヨメサンからのショット。
「あなたね、メルマガやホームページでいろいろと教育について偉そうなことばっかり言っているけど、実際にやっているのはわたしなのよ。コンピューターの前ばかりにすわってないで、子供のプリント1枚でも見てやってよ!」 
私のリターン。
「父親は、家庭内で一定の権威を示して、また、雰囲気作りに気を配り、考え方・社会のルール・大人になる意味・勉学の根拠・挑戦の精神・職業の意味なんかを、子供にチャンスを選びながらベストタイミングで直接的・間接的に示すことがより大切な仕事だ!手足のことはお前に任せるよ!」
と心の中で言いながら、実際には「よし、どれや。」となる。
海外で教育をすることは基本的に、ハイリスクハイリターンという認識があるから、あろゆる「危険信号」には早急に対処するように努力しているつもりである。ヨメサンはそれでも納得していないと思うが・・・。

1994年、子供が0才と2才の時、私は東京からロンドンに転勤になった。
イギリスには旧植民地から多くの移民が住んでいる。彼らの典型的な成功パターンは、カネを不動産・子弟の教育にできるだけつぎ込んで、家族・一族のカネ回りを徐々によくするというものだった。私にとっては、これが「なるほど教育って大切なんだ」と真剣に考えるようになった原体験である。また、幸か不幸か、日本の教育が問題視され始めたこともあり、教育について親として理念を確立する必要性を感じた。
私自身は、幸運にも、中高大10年間一貫教育の中で、日本にあってはやや能天気に育ったが(一方で「創造性」とか「自分を信頼できる力」は温存できたかなとも思う)、自分の子供が、私と同様の幸運を得られるとは限らないし、海外にいると自然にバイリンガルになるなんて話は夢物語であることはすぐに分かった。カッコ良く言うと「子供の品質100%親の責任!」と公言して自らを追い込むしか残された道はないように感じた。

哲学・人生観など難しいことはさて置き、教育の技術論で言えば、「これだ!」と思う表現に最近であった。
「仮説発想の過程でそれまで思いもよらなかった事象同士を結び付けてみようという考えが閃くわけだが、それが可能になるためには、まずもって仮説を構成する諸要素があらかじめ頭の中に仕込まれていなければならない。つまり、『世界の諸相』に関する広範な知識取得は絶対に欠かせないのである。とはいえ、テレビのクイズ番組への出演準備でもするように、ただがむしゃらに雑多な知識を頭に詰め込むだけでは、能率も悪いし、効果も少ない。そこで、知識取得にはヒューリスティック(発見的)な学習態度が要求される。要するに、問題発見・解法探索的な学習態度の事である。」
これは、赤羽隆夫氏が「日本経済探偵術」という本の中で、エコノミストやアナリストに思考方法を説いているのであるが、教育の技術論を的確に表現していると思う。
また、3月27日の読売新聞の中での、中村伊知哉MIT客員教授の言葉(「日本の学校では、生徒は先生の言うことをじっくり聞くのが中心だ。が、ボストンの小学校を訪れるたび感じるのは、作る、見せる、話す、探る、共有する、という活動の比重が高いことだ。日本はテレビ的でアメリカはインターネット的である。」)で、子供達にアメリカの小学校教育を1年間受けさせて親としてぼやーと感じていることを明確に認識することができた。
そうだ、テレビのクイズ番組への出演準備的な日本の教育と、ヒューリスティック(発見的)なアメリカの教育!

まあ、いくら偉そうに言っても、評論は評論、実践はまた別の話。
もっとも、実践するには理念が必要で、理念を固めるには評論もある程度必要であるが・・・。
子供は日々成長するというダイナミズムの前では、良く観察しながら早め早めに手を打つ実践的な態度(=ファインチューニングの連続)も忘れてはならない大切なポイントだろう。また、親は、昨今の技術革新による社会の変化とその子供固有の能力や適性を天秤にかける事も、昨今の変化の時代には必要だ。
まあ、いずれにしても教育については、時間軸が生むダイナミズムの前に試行錯誤の連続だ。考えて行動、行動してまた考える。皆さんは、何を考えて、どう行動しているのだろう?

コラムニスト:はしもとひでと
E-mail: HidetoH@msn.com
Website: はしもとひでとのバーチャル書斎

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